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今回は、マティスです✨

心を癒す絵画をずっとずっと探究していたマティスは、どんな美学を持っていたのか。
探究の行方を追っていきたいと思います。

Matisse’s Profile

Henri Matisse(アンリ・マティス)
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マティスは、フランス北部の国境あたりの街で生まれ育ちました。結構長生きされて、84歳で亡くなっています。

マティスって結構最近の人なんですね。ピカソもしかり。昭和の時代にも生きていたんですよ。おじいちゃんか、ひいおじいちゃんくらいのレベル感ですよね。

彼にとって絵を描くことは、楽園のようなものでした。
ずっとそう思いながら描いていたのが、マティスのすべてのルーツになっています。

色彩の魔術師と呼ばれたり、西洋絵画史上最大の変革者の一人と言われています。西洋絵画史上最大の変革者は何人かいますが、その中の一人です。

どのような変革を起こしたのか、見ていきましょう。

Changes in Western Art History

印象派以前

写実至上主義で写実こそが全て。見たままを美しく、写真のように正確に描くことが、絵画の最上位でした。

印象派

ずっと継承されてきた伝統的な美意識の枠を壊し、写実から絵画の歴史を解放しました。

今までの凝り固まった「写実的でなければいけない」を破壊したのが印象派の面々で、画家それぞれが見たままの美しさを描きました。

それぞれがどこに美しさを見いだすか。
モネだったら、光によって変わる色彩の空気の美しさを描くために、色彩に着目して描きました。

ここから、西洋美術史の歴史が大きく変わっていきました。

ポスト印象派(後期印象派)、新印象派

さらにそれを昇華させたのが、ポスト印象派や新印象派と呼ばれる人たち。

ポスト印象派にカテゴライズされるのがセザンヌ、ゴッホ、ゴーギャンの三人。新印象派は、点描画で有名なスーラやシニャックなどです。

印象派の影響を受けつつ、ちょっと違うことをした人たち。彼らはさらに写実から離れ、印象派の面々よりも、もっと自分にとって何が重要かにフォーカスしました。

色彩とフォルムの解釈、その表現の変化がここで起きました。色彩とフォルムを単純化したんです。

これは、近代絵画の父・セザンヌの大きな功績。
セザンヌは、風景をフォルムと色のそれぞれを独立させて捉えて、それを分解して頭の中で再構築し、自分が美しいと思った絵を描きました。

ゴッホは、単純化しつつ、筆のタッチで自分の感情を表現したパイオニアです。

それまでは、自分の感情がどうかより、美しさを重視していました。ゴッホももちろん美しく描いていましたが、(意図的か無意識か分からないけど)ゴッホからは、寂しい、悲しい、嬉しい、楽しいといった感情を、筆のタッチや色で絵に表すようになりました。

ゴーギャンは、どちらかというと見えない世界を描きたいと思った人。

この三人がやりたかったことはそれぞれ違うけれど、色彩とフォルムを単純化したことが共通しています。ここがめちゃめちゃ大きいことだったんです。

世紀末芸術や20世紀芸術

さらにそれを継承したのが、世紀末芸術や20世紀芸術と呼ばれるもの。

ここからはすごい多様化して自由になって個性も発揮されていくので、西洋美術史を語る都合上、世紀末芸術とか20世紀芸術と大きく括っています。

これ以降は、フォーヴィスム、象徴派、分離派など、色んな派閥・ジャンル・様式が出てきて、その中を行き来したり1箇所に留まらない画家が多くいました。

なので、正確にかっちりカテゴライズすることが難しいのですが、ざっくりまとめると、この世紀末芸術・20世紀芸術にマティスやピカソが含まれています。

彼らがやったのは、色やフォルムを自然の一部や描写の一部として扱うのではなく、それぞれを独立した要素として捉えること

絵を構築する要素として捉えて、分解・再構築する表現へ移っていったんです。なので、絵がどんどん単純化し、多様化し、自由化していったのが、この20世紀芸術以降。

これがもう、ほぼほぼ近代絵画や現代芸術と言われる手前までのこと。

印象派以前も印象派も、アカデミーの権威性が非常に強く、写実的でなければいけないし、風景画は売れない。

絵にもヒエラルキーがあり、サロンや国で認められる絵だけが結局売れるような時代がずっと続いていましたが、それがどんどんどん薄まっていきました。

20世紀芸術あたりになると、もはやアカデミーの権威性はほぼほぼなくて、画家たちが個として活躍できた時代に移っていきます。

私は西洋美術史の中で、ここの移り変わりが大好きなんです。

そんなわけで、単純化した絵を描くのがマティスだよということで、改革された一人としてピックアップされることが多い人物です。

Matisse’s Life

1869年、豊かな穀物商人の長男として結構裕福な家に生まれました。

お父さんの意向で書記をするため、パリで国家資格の勉強をします。翌年には資格を取得して、しばらく法律事務所で働いていました。

1889年、盲腸で入院。お母さんがお見舞いの際、暇を持て余していたマティスに画材一式を持っていき、「絵でも描いてみれば」と勧めたところ、そこから絵にとっても興味を持ち始めます。

この時、絵を描くということは楽園のようだとマティスは気づいたんです。

その美しさと楽しさと素晴らしさに目覚めて、画家に転向することにしました。
お父さんはかなり残念がっていたので、なんとか説得して画家になることにしました。

1891年にパリの美術学校に入学するまで、いろいろ大変だったようです。

それまで絵を描いていなかったので、いきなりアカデミーに合格はできず。美術学校に入学するためには、やっぱり試験がありますよね。日本も芸大受験するのになかなか合格しないと思いますが、そういった感じで何回か落ちてしまい、やっとの思いで入学できたようです。

1891年は多分、仮入学のようなちょっとライトな美術学校だったかもしれないです。

1896年、画家デビューでいきなりサロンに4点出展し、そのうちの1点を国が買い上げてくれました。

画家になって間もないのに、すごくセンセーショナルなスタートで、その後すぐ結婚もしています。

この後のマティスは、順風満帆に画家人生を送っています。


ここからは、マティスの作風の探求の変化を6つの時代に分けて、詳しくみていきましょう。

最初は写実的な作品を描いていたマティスでしたが、印象派に感化され、フォーヴィスムと呼ばれる絵画が生まれ、探究が進み幾何学的になって、フランスのニースに拠点を移すことで絵が変化し、晩年はマティスらしい世界観を作っていました。

Initial stage

初期にどんな絵を描いていたかというと、こんな感じです。

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1895年『読書する女性』

画家を志して5年勉強し、 26歳で名門アカデミーのエコール・デ・ボザールに正式に入学しました。

この頃、象徴主義というジャンルの代表的巨匠であったギュスターヴ・モローから指導を受けていました。

当初、マティスは静物画家になろうとしていたので、古典絵画の様式で静物画や風景画を学んでいました。

この当時は、ロココやバロックにかけての古典巨匠たちや、マネや日本画・浮世絵の影響を受けていたと言われています。

これもマティスの絵です。
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1896年『シルクハットのある室内』

こんな感じで静物画を描いていて、トーンは暗めで写実的なところを目指して、古典的な描き方をしていたのが初期のマティスの絵です。

モローはこんな絵を描く人です。
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ギュスターヴ・モロー    1876年『出現』

モローは象徴主義の古典的なテーマに、ちょっとスピリチュアル要素を強く入れたような絵を描くことで有名な人でした。

この方に教わっていたので、色彩もちょっと暗めだったのかな。

モローが亡くなり、マティスはこの伝統的な絵画技法をずっとやっていくことに限界を感じました。

やがて、アカデミズムの伝統的な枠に囚われないもっと前衛的な画風を目指し、前衛的な画風で描いている画家たちに惹かれていきました

ここを境にマティスの絵が変わっていきます。